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豪壮華麗、天空に輝く白亜の大天守(兵庫県姫路市)

名城の呼び声高い桃山芸術の最高傑作。そんな優美な姿は外観だけで、その内懐には敵を迎え撃つためのさまざまな工夫が凝らされ、有事を強く意識した実戦的な備えを怠っていません。今日なお江戸初期の大修築時の旧態をよくとどめ、1993年に法隆寺とともに世界遺産登録されました。

Text : 藤沼裕司 / Photo : 青柳健二

キーワード: 天守 / Japanese culture / Himeji Castle / Hyōgo Prefecture / Castles / White Heron Castle / Edo Period / World Heritage Sites

東小天守をしたがえた大天守の威容

要害堅固、西国の豊臣勢力抑えの城

姫路城が今日の姿になったのは江戸幕府成立後の慶長14(1609)年ですが、城としての歴史はそれよりもっと早く、元弘(げんこう)3(1333)年に赤松則村(のりむら)が現在天守の置かれている姫山に砦を築いたことに始まるとされています。その後、城主が目まぐるしく入れ替わり、戦国時代に黒田孝高(よしたか)が治めていたころ、豊臣秀吉が中国地方の毛利氏攻めのために進出してきました。孝高が秀吉に従い城を開け渡すと、秀吉はここを前線基地とするために本格的な築城にかかり、天正9(1581)年に石垣を巡らせた3層の天守をもつ城を完成させました。

秀吉の時代が終わって徳川家康が天下の実権を握ると、家康は西国の豊臣系有力大名を警戒して、山陽道の要衝であるこの地に娘婿の池田輝政を配しました。輝政はただちに秀吉時代の城を破却し、その跡に8年の歳月を要して優美な外見を誇りながらも、防御にも迎撃にも優れた実戦向きの城を築きました。

怨霊にとりつかれて傾いた天守

姫路城は姫山、鷺山という東西に横たわる丘陵を中心に築かれた平山城で、堀を三重に巡らせて主郭部を内堀が囲い、中堀の内には武家屋敷、外堀内を町人町としました。このように町人までも取り込んだ総構えの城はきわめて珍しく、その例は大坂城や後北条氏時代の小田原城など数えるほどしかありません。

主郭内は姫山山頂部の天守から順次下がって本丸、二の丸などが階段状に配置されています。西方の鷺山一帯はしばらく未完成部分として残されましたが、元和3(1617)年に池田氏に替わって城主になった本多氏が西の丸御殿と化粧櫓を築いて全容を整えました。

天守群の構成は5層6階地下1階の大天守と、東西および乾の小天守3基からなり、その間を渡櫓で結んでいます。大天守は高さ15mほどの石垣上、建物自体の高さはそこからさらに31m、この巨大建築を地下から最上層の床までを貫く2本の極太柱で支えています。

城の完成直後、どこからともなく天守が傾いているという噂が流れ、これを苦にした棟梁が自殺するという事件が起こりました。その後も地盤沈下は進み、人々はこれを棟梁の怨霊によると恐れました。噂は後の世まで残り、昭和の大修理でようやく解消されました。

装飾を装ったさまざまな防御の仕掛け

総構えの中には東西を結ぶ山陽道も取り込んでいました。道は中堀と内堀の間、武家屋敷街を、屈折を繰り返しながら通じ、通行人は必ず厳重な城門を潜らなければなりませんでした。中堀を渡って大手門にいたる道も、すべて直進を阻まれるように造られていました。

大手門を入ると三の丸で、そこから天守までは直線距離にして2㎞弱、しかし、行手は複雑に折れ曲がったり迂回したり、さらに行き止まりに迷い込んだりと容易に近付けません。しかも、途中には10カ所以上もの門が置かれ、門前後ではいずれも通路をL字形に設けて側面攻撃を可能にしています。また、進路は延々と続く土塀の間に通じていますので、視界を遮られるうえに、土塀には迎撃のための小窓が寸分の隙もなく設けられています。

天守群では、防御のためのさまざまな仕掛けを単なる装飾としての破風(はふ)や格子窓にしか見えないように工作したり、破風内側のわずかな空間に武者隠しを設けるなどあらゆる仕掛けが施され、地下には籠城に備えて調理用流し台やトイレまでも設置されていました。姫路城のほんとうにすごいところはこのような防御面でのさまざまな創意工夫、工作にあり、それは広大な城内全域におよんでいます。

比類なき完成度を誇る最高位の木造建築

姫路城天守群の造形美を際立たせているのは、屋根回りの装飾として取り付けられている破風です。ここでは形状の異なる破風を各層、各面ごとに巧みに配置していて、これが外観上の顕著なポイントになっています。また、開口部も同様に頂部が曲線状の火灯窓(かとうまど)や直線的な格子窓を各層ごとに使い分けて、白漆喰仕上げの壁面に変化をもたせています。

西日に染まる大天守西面。

明治維新後、姫路城は民間の手に渡りましたが、建物は荒れるに任せるばかりの状態でした。明治15(1882)年には大天守直下の備前丸から出火し一帯を焼失しましたが、幸い自然鎮火により大天守は無事でした。その後、市民が立ち上がって整備が進められ、大正元(1912)年には市の管理する公園になりました。

昭和6(1931)年には天守群などが旧国宝に指定され、昭和の大修理が始まりましたが第二次大戦で中断。このとき市内は二度の空襲に見舞われ大天守にも焼夷弾が落とされましたが、不発弾だったため事なきを得ました。

戦後、昭和26(1951)年に新しい基準による現国宝に指定され、昭和39(1964)年には大修理終了、そして平成5年(1993)に「美的完成度がわが国木造建築の最高位にあり、世界的にも比類のない優れた遺構」として世界遺産登録をはたしました。平成21(2009)年からは大天守保存修理工事が行われ(平成の修理)、より一層白く美しい姿に蘇り、訪れる人々を魅了しています。

<姫路城>

■所在地:兵庫県姫路市本町68

■問い合わせ:姫路城管理事務所 TEL:079-285-1146

■URL:http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle.html

■アクセス:JR姫路駅または山陽電鉄の山陽姫路駅から徒歩約20分

姫路駅北口から神姫バス乗車「大手門前」下車後徒歩5分

Text: 藤沼裕司 (ふじぬま・ゆうじ)

フリー編集者、記者。動植物、自然、歴史文化を主なテーマに活動。

Photo: 青柳健二 (あおやぎ・けんじ)

写真家。日本やアジアの風景を撮り続ける。とくに現在は人間と自然がいっしょに
なって作り上げた田園風景を求めて全国各地を旅している。主な著書に「メコン川」
(NTT出版)、「棚田を歩けば」(福音館書店)など。

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【日本の世界遺産】姫路城 豪壮華麗、天空に輝く白亜の大天守

[ 世界遺産 ] 【日本の世界遺産】姫路城 豪壮華麗、天空に輝く白亜の大天守

Text : 藤沼裕司 / Photo : 青柳健二

キーワード : 天守 / Japanese culture / Himeji Castle / Hyōgo Prefecture / Castles / White Heron Castle / Edo Period / World Heritage Sites

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