江戸から続く、自由さと文化を見極める目。
文豪に愛された古き良き旅館スタイルを守る。
400年の歴史を刻む

「つるや旅館」は、江戸時代初期に中山道の軽井沢宿で休泊茶屋、旅籠として開業し、400年にわたり宿を営んできました。
当代主人は小峰弘敬さん。
「軽井沢は幕府が直轄で治めていた村。藩に属していなかったので、茶屋や旅籠の主人は、道中手形を切ったり、非常時の武器を預かるなど、重要な役割を任され、大きな権限を持っていました。だから宿場町全体に活気や主体性があって、新しいことを受け入れていく自由な雰囲気があったのだと思います」
碓氷峠の登り口にあった軽井沢宿、沓掛宿、追分宿は、峠越えを終えた客や、朝立ちして峠を越える客でにぎわい繁栄していました。活況を呈し、自由な雰囲気を謳歌していた軽井沢宿ですが、やはり幕末になると次第に廃れて、江戸以前の寒村に戻ってしまいます。




宣教師ショーの来訪
その後、軽井沢の救世主になったのが宣教師のショーですが、実はショーに別荘を斡旋したのが、その当時の「つるや旅館」主人、佐藤仲右衛門でした。これが軽井沢における別荘の第一号です。
「その当時、外国人に家を提供して近所に住まわせるなど、常識では考えられないことでした。これは仲右衛門や軽井沢の人が偏見のない自由な心を持っていたからできたこと。ショーを外国人としてではなく、文化を共有できる〝人〞として見たのです。この人や文化を見る目、受け入れる懐の深さに、軽井沢がリゾートとして発展した理由があります」
なお、「つるや旅館」のすぐ近くにあるショー記念礼拝堂は、軽井沢最古の教会です。

文人たちの心を捉えた宿
その後、外国人が使いやすいように客室をアレンジしながらも、日本旅館の形態を守り続けた「つるや旅館」は、文人、学者、実業家などに好まれるようになります。
島崎藤村、芥川龍之介、永井荷風、室生犀星、堀辰雄などが滞在し、文人たちの溜まり場となっていきました。
「つるや旅館」が培った人や文化を見極め、受け入れる懐の深さが、文人たちの心を捉えたのでしょう。彼らと交流があった、歌舞伎役者の2代目市川左団次も「つるや旅館」の離れに別荘を建てて逗留しました。その別荘が現在の「つるや旅館」の奥館です。大正時代に建てられた建物が、当時のままの姿で残っています。
つるや旅館で、江戸から明治、大正へと受け継がれてきた、宿場としての軽井沢の物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。



(雑誌YUCARI掲載記事)
Text: 村田保子
Writer and Editor
Photo: 菅原孝司 (すがわら・こうじ)
Photographer