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日本の各地には、素晴らしい風景があります。そして、そこには様々な物語が刻まれています。ここでは、写真家・青柳健二が日本各地で切り取った後世に残しておきたい素晴らしい風景をシリーズでお伝えします。

Photo & Text : 青柳健二

キーワード: 縄文時代 / 渡良瀬遊水地 / 筑波山 / 利根川 / ヨシズ / 谷中村史跡保全ゾーン / ヨシ焼

面積は33km²、総貯水容量2億m³の日本最大の遊水地

渡良瀬遊水地は、2012年7月3日、湿地の生態系を守る目的で設けられたラムサール条約に登録された。

栃木・群馬・埼玉・茨城4県にまたがる渡良瀬遊水地は、関東平野のほぼ中央に位置し、面積は33km²、総貯水容量2億m³の日本最大の遊水地だ。

ヨシとオギが混在する広大な原っぱを通して遠く筑波山を望むことができる。山は東側に位置するので、朝日が昇るころ、山の形がシルエットとなって美しい。

縄文時代からすでに渡良瀬遊水地の周辺には人が住んでいたという。縄文時代は、気温の高い時期で海面上昇(縄文海進)がみられ、海は今よりも内陸まで入り込んでいた。だから縄文遺跡からは貝塚が発見されている。その後上流から流れてきた土砂が堆積し、関東の広大な沖積平野が形成された。

江戸時代になると、関東平野の開発が始まり、利根川も江戸湾に流れていたものを銚子の太平洋に流れるように付け替えた。これは利根川の東遷といわれるが、これによって渡良瀬川は利根川最大の支川となった。

渡良瀬川下流部の谷中村は、3つの村が合併して、1889年(明治22)に誕生した。渡良瀬川、思川、巴波川に挟まれた土地は水害を受けやすく、村の周囲には堤が築かれ、洪水に備えた小高い丘「水塚」や「揚舟」などがあった。水田、畑作を主な生業とし、漁業やヨシズ作り、スゲ笠作り、養蚕業なども行われていた。

谷中村史跡保全ゾーンに、その歴史が刻まれる

明治20年代になって、渡良瀬川最上流部に位置する足尾銅山から流出する鉱毒被害が広がり大きな社会問題となった。氾濫被害の軽減のためという名目で渡良瀬川下流部に遊水地を造る計画が打ち出され、谷中村を中心とした地域で、栃木県が土地の買収を始めた。反対した村人たちもいたが、1906年(明治39)に谷中村は藤岡町(現・栃木市)に合併され廃村となった。

土地は不当に安い値段で当局に買い上げられ、村民たちは近隣の村々や、遠くは北海道へ移転していった。その後も、16世帯約100名は、谷中村の遊水池化に反対し買収に応ぜず提内に留まっていたが、1907年(明治40)16戸の強制破壊が強行された。強制破壊後も、仮小屋を作り抵抗を続けた村人もいたが、1917年(大正6)、とうとう反対運動を断念して谷中村は名実ともに消滅した。

現在、谷中湖の北に、「谷中村 史跡保全ゾーン」がある。谷中村役場、雷電神社、延命院などの遺構が残っていて、希望すれば、ボランティアが史跡を案内してくれる。墓地跡には、背丈ほどに茂ったヨシ原の中に今も墓石が建っている。谷中湖はハート型をしているが、 実は1972年、谷中湖造成時にブルドー ザーに身を投げ出して抵抗し共同墓地を守った谷中村子孫たちの闘いの結果だ。

渡良瀬遊水地には、こんな悲しい歴史もあった。公害が理由で生まれた場所が今は自然保護の対象になっているというのも皮肉な話だ。

春の風物詩となったヨシ焼

この地でのヨシズ作りが大きな産業になったのは、谷中村が廃村になってからだ。人びとが住まなくなった土地に土砂が堆積し、ヨシが自生するようになった。そして関東大震災で被災した家屋のために需要が高まって生産が急増した。それまで農閑期の副業としてやっていた漁業は、豊かな漁場の減少に伴い、この機会にやめてヨシズ作りに切り替えた農家もあった。

ヨシズの集散地は栃木市藤岡町と古河市だった。昭和の初めころは、高瀬舟を使って渡良瀬川を下り、東京へと出荷していた。昭和40年代の半ばになると、安価なヨシズが外国から輸入されるようになり、ヨシズ作りも減少していった。

渡良瀬遊水地で三月中旬に行われる春の風物詩として有名なのがヨシ焼だ。

『ヨシ焼き Q&A』(渡良瀬遊水地利用組合連合会)によれば、「ヨシを焼くことにより、害虫を駆除したり、落ち葉等も焼くことによってヨシを育ちやすくしたり、飛散するヤナギの種等を焼くことによって林のようになるのを防いだり、ヨシが成長する前に成長する春植物の発芽を促進する等の効果がある」とのこと。

動植物の種類は他の湖沼と比べると、群を抜いて多いが

ヨシ焼きは、貴重な生態系が保たれているヨシ原を維持するには必要なものなのだ。ヨシ焼は、地域の特産であったヨシズ作りのため良質なヨシを育成するためだったが、現在は、野火による火災の防止などの目的もある。

遊水地で確認されている動植物の種類は、関東地方の他の湖沼と比べると、その多さは群を抜いている。これまで1000種類の植物が確認されているが、そのうち60種類は、絶滅危惧植物だ。野鳥は252種類確認されていて、そのうち44種類が絶滅危惧種、昆虫は1700種確認されていて、62種が絶滅危惧種となっている。

ヨシ焼当日の朝、セスナ飛行機が飛んできて、ヨシ焼きで煤が飛ぶので洗濯物を表に出さないように、窓を開けないように注意していた。午前8時半、棒の先に火を付けた係りの人たちがヨシ原の中に入っていくと間もなく方々から煙が立ち昇った。

炎は渦を巻き、パチパチと、ヨシが燃えてはじける音が聞こえる。炎と煙が天まで延びて、ようやく顔を出した太陽がゆらゆら揺れる。焼けたヨシの匂いが辺りに漂っている。これが渡良瀬遊水地の春を告げる匂いだ。

参考資料

『渡良瀬遊水地 ~生い立ちから現状~』

「渡良瀬遊水地」⇒ https://watarase.or.jp/

(一般財団法人 渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団)

Photo & Text: 青柳健二 (あおやぎ・けんじ)

写真家。日本やアジアの風景を撮り続ける。とくに現在は人間と自然がいっしょに
なって作り上げた田園風景を求めて全国各地を旅している。主な著書に「メコン川」
(NTT出版)、「棚田を歩けば」(福音館書店)など。

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残しておきたい日本の風景 7  渡良瀬遊水地(栃木・群馬・埼玉・茨城)

[ 旅先 ] 残しておきたい日本の風景 7  渡良瀬遊水地(栃木・群馬・埼玉・茨城)

Photo & Text : 青柳健二

キーワード : 縄文時代 / 渡良瀬遊水地 / 筑波山 / 利根川 / ヨシズ / 谷中村史跡保全ゾーン / ヨシ焼

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