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自然

自分自身の体験から、終末期の患者様には肉体的、精神的痛みの他に、絶望感や喪失感に充ちた死の受容に伴う痛みがあることが分かりました。
それを癒やす術があるとすれば、それは「自分は何処から来て、何処に行くのか、人は何に属するか」という問いと、それに対する答えを見出すことだと思い及びました。
私たちは大自然の中に生を受け、やがてまたそこに戻っていくのです。
その答えを導くために大きな指標のひとつとして富士山が存在する。富士山の美しさに出会うことにより「自分もこの偉大な自然の一部である」と感じる。
そんな写真を撮ることが、自分に課せられた命題であると思って撮影を続けています。(岳丸山)

Photo & Text : 岳 丸山

キーワード: 雲海 / 冨嶽三十六景 / 岳丸山 / 丸山林道 / 田貫湖 / 山中湖 / 高座山 / 黄金崎 / 雲見浜

丸山の東雲—丸山林道

朝霧を過ぎ本栖湖に入りいつものように湖畔で空模様を窺う。雲が厚い、目的地まではまだ一時間以上走る。

30分ほど時間を潰しハンドルを握った。撮影ポイントに到着、誰もいないことに肩透かしをくう。間もなく富士らしいシルエットが薄明の厚く黒い雲の筋間に浮かぶ、その光景がただならぬものであることをその時は知る由もなかった。

この朝、人知の及ばぬ大自然の未知の光景を目の当たりにすることになる。手が震えフィルムがうまく交換できない……、1分が永遠に思えた。その光景の前に私はもはや粒子の濃淡と化し、宇宙の一元的広がりの中に溶け込んでいくようであった。

水鏡・光の波長—-田貫湖

超満員の湖岸の展望ステージからの撮影である。

ダイヤモンド富士であまりにも有名な田貫湖、最近は観光バスのツアーも組まれ日本中からカメラマンが押し寄せる。4月と8月のダイヤの次に人々を魅了するのが、2月から3月上旬までの夕暮れの光景である。

夕陽に富士の積雪が、赤、黄金色、青と変化し染まる様はとりわけ格別である。運が良ければ逆さ富士にも遭遇できる。心安らぐ穏やかさ、澄み渡る静寂感、ゆったりと流れる贅沢なとき。その自然と人が溶け合う玉響(たまゆら)は、自分自身が何に属しているかを、人々に問いかけるかのように、静かに音もなく過ぎ去っていった。

落日—-山中湖

2月の上旬、駿河湾から湧き上がる水蒸気は、北風により富士の山麓を駆け上がり、やがて冷やされて雲となり、南側(静岡側)の稜線にまとわりつく。大寒を過ぎた厳冬期の凍てつく大気の中でも、底冷えする無風日以外は、この現象がつきまとう。
この日は珍しく雲ひとつない冬晴れの空の下、見事な夕日が富士の頂に沈んだ。数年来待った瞬間である。
初めて落日のダイヤを見る者は、その沈む刹那の速度に驚く。夕日はまさに瞬きをする間に姿を隠す。22年ぶりに全面氷結した湖面に輝く落日である。

寒林の夜明け—–高座山

大寒を過ぎて降る大雪、荒れ模様が夜半に静まり、明けて快晴の夜明けを迎えたその朝、黄金に輝く富士が姿を現す。
一億五千万kmの彼方より届く陽光は、凛とした厳冬の大気を鋭く貫き、山頂の雪を紅から黄金に染める。

積雪の中、苦行のごとき深夜の山行。自分がここに居ることを、何度も自問自答する。その想いもいつしか夜明けと共に溶け始め、「また来よう!」と心で呟く。

幻想の富士—–雲海との出会い

久々に胸の鼓動が聞こえる。

満月の夜、湖畔は霧で覆われ、高台からは雲海となって見渡せた。月光はその雲海を煌々と照らす。時と共に変化を繰り返す霧、湖畔の灯りが投影され淡く色づく。
満月は日の出と20分足らずの差で富士の山際に沈む。黎明の空に、月光は富士と雲海を間近に照らし、幻想の色彩を生むはずだ。
自然の摂理が生み出す刹那の彩、それは人知を遥かに超える。

夜想曲—–シュールな月影の世界

西伊豆・黄金崎の岸壁は、プロピライトいう花崗岩が風化して出来たもの。夕陽に染まる黄金色の岩肌が有名である。

月夜の岸壁の彩りを写真に納めたくチャンスを狙うが、暖冬で冷え込みが弱くなかなか撮れない。

大雨の翌日午前3時、南中を過ぎ西に沈む満月の月明かりが岸壁を照らし始めた。富士の積雪が肉眼でも見える。

「今だ!・・」

絶壁に立ち、入念にカメラをセットする。月光の下で輝くプロピライト、ざわめく波音、夜目でも緑と映る岩上の松、紺碧の海、遠方の岬に打ち寄せる波頭、街の灯、南アルプスの山々、星の軌跡、そして鎮まる富士。

伊豆の厳寒期、あたかも深夜に奏でられた夜想曲のようであった。

波濤—–雲見浜

葛飾北斎の版画「神奈川沖浪裏」に描かれた波の先端の動きは、現代科学を駆使して測定したところ、8,000分の1秒の静止画像と解明された。

北斎はいかにしてその姿を肉眼で捉えるこのが出来たのであろうか・・・
伊豆の海岸で押し寄せる波頭を見る度に、そんな想いが脳裏をかすめる。

富士を捉える構図の基本は、「冨嶽三十六景」の中に全て含まれていると私は考える。
北斎の描く屹立とした富士の姿は、驚くほど簡素であり、かつ雄弁優美である。
美しい稜線をまとい佇むその存在感は、まさに風景版画に広がる小宇宙を、竜の眼のごとく引き締める。


富士山を撮る、ということ

■重要なのは想像力

富士山撮影で一番重要なものは想像力である。様々な気象現象をはじめ、地理条件、太陽、地球、月などの天体の動き、光の波長の長さや角度による色調の違いなどを撮影条件として頭にインプットし続けることによりその想像力は養われる。そしてあらゆる情報が脳に蓄積されたのちに溢れ出したものが、イマジネーションである。私の場合は3年を費やした。そしてその想像力を頼りに撮影に向かっても10回トライして数枚しか撮れないのが富士山である。

 

■田貫湖での青の世界

富士山の撮影を続けていると、様々な自然現象に巡り会い、その不思議さに驚嘆させられる。

今回は、富士宮の田貫湖で体験した光の波長のエピソードを紹介する。 大寒から3月の上旬までの一カ月間、まさに富士山撮影は佳境に入る。寒気が強ければ強いほど大気は澄み渡り、光は鋭さを増す。ここ田貫湖も例外ではなく、年に一度の奇跡の光景がこの時期に姿を現す。テレビの富士山番組で、よく「奇跡の光景」という表現を耳にするが、単なる常套句に過ぎない場合が殆どである。しかしここで言う奇跡は本物である。

ドラマは日没直前から幕を開け、日没後20〜30分まで続く。光(可視光線)は、波長の長さによって色が変わる。一番長い波長は赤(上界)であり、一番短い波長は紫(下界)となる。虹の七色はこの波長の長さ順にスペクトルが並んだ円弧状の光であり、赤、オレンジ、黄色、緑、水色、青、紫と考えられている。可視光線より波長が短くなっても長くなっても、人の目には見ることが出来なくなる。可視光線より波長の短いものを紫外線、長いものを赤外線と呼ぶ。田貫湖の真冬の夕暮れは、まさにこの現象を目の前ではっきりと体感出来る。

運良くその場面に巡り会えたことが一度だけあった。2月上旬の冷え込みの厳しい快晴の夕暮れ時、私はやっとチャンスが巡ってきたと判断し田貫湖へ向かった。私の家から田貫湖までは約一時間。自宅で天候を確認してから出かけても間に合う距離である。到着すると既に撮影ポイントには黒山の人だかり。遠慮しつつ失礼のないよう、狭い空間を探し少しずつ最前列に進む。様々な経験値の異なるカメラマンが集まっていた。経験値の違いは、使用している三脚を見ると一目瞭然である。 定めたポイントになんとか到着、カメラをセットしてその瞬間を待つ。まず光の波長は、一番長い赤が届き、富士の積雪をピンクに染める。次にはっきりと識別出来る黄色が届き積雪は黄金色に輝く。その間、微妙な色の変化が連続するが、田貫湖の夕暮れ写真は、この二枚が撮影出来れば上出来と言え、通常はそこで撮影は終了する。

私も黄金富士が撮れた時点で、十分満足し帰り支度を始めたその時、隣で撮影していた老カメラマンが、「あんたもう少し待ってなさい!もう一度染まるから!」と言って私を引き止めた。撮影を終えたほとんどの人々は、満足げな顔で帰路につき、私と老カメラマンの二人の他、数人だけがステージに残った。十数分も待っただろうか、老カメラマンの言った意味がはっきりと理解出来た。モノトーンに冷めていた富士の積雪が、徐々に再び染まり始めたのである。今度は鮮やかな青である。富士の積雪は勿論、大気全体が青みを帯び、今まで写真では見たことのない青の世界が眼前に広がった。

 

■山中湖での沈むダイヤモンド

ダイヤモンド富士には、昇るダイヤと沈むダイヤがある。富士山を挟んで西側が田貫湖で有名な昇るダイヤであり、東側の代表的なものが山中湖の沈むダイヤである。田貫湖では4月と8月の午前6時頃、山中湖では、10月から2月の午後4時前後に毎年見る事が出来る。

太陽と地球の距離は、約1億500万km離れており、余りにも遠いため、太陽は毎年同じ位置から昇り、沈む。地球の自転速度は、両撮影ポイントの緯度で秒速約380mであり、富士山頂上を通過する速度はほんの一瞬である。 ダイヤモンド富士を撮影する場合、いかにして山頂の中心に太陽を置くかが勝負の分かれ目となる。田貫湖の場合は、ガイドブックに詳しい日にち別の昇る位置(太陽が頂上にかかり昇る日数は5日ほどある)が案内されているため比較的分かり易い。好みの位置にいかにして陣取るかが勝負である。

一方山中湖の場合は、10月から翌年2月迄とダイヤの撮影可能期間が5ヶ月間と長いため、経験が必要となる。撮影場所に関しては余裕があり、田貫湖ほど陣取りはシビアではない。 現在、田貫湖のダイヤモンド富士は余りにも有名になり過ぎ、観光バスで全国からカメラマンが押し寄せるほどである。ベテランカメラマンは、当然このような混雑する撮影地を嫌い、足を運ばなくなる。 山中湖のダイヤは、天候条件をクリアすることが難しい。夕刻の撮影になるため、真冬といえども、雲の発生が頻発するからである。また秒速380mで沈む夕日を、山頂の真ん中に置くのも至難の技である。沈む夕日である為、その前段階の軌道を目で追いながら一番良い位置取りを予想すれば良いのだが、それがまた難しいのである。

最後に、太陽が放つ光条の本数も写真のイメージを大きく変える。この場合、レンズの絞り羽の枚数が、光条の本数を決める要因となる。偶数の絞り羽のレンズは、その羽の枚数がそのまま光条の数となる。例えば8枚羽のレンズでは、光条は8本出る。一方、奇数の絞り羽のレンズは、その羽の枚数の倍の数の光条が出る。例えば5枚羽のレンズでは、光条は10本となる。またレンズの設計が優れているほど、光条の切れも良い。

 

■高座山での厳寒の黄金富士

厳冬期の2月上旬、満を持して高座山に向う。この時期の日の出の時間は午前7時前。現地登山口駐車場に午前5時に到着すれば、一時間半の登坂行程で6時半には撮影ポイントに到着し日の出に間に合う。そう計算し家を出る。

狙うは、新雪を蓄え朝日に輝く厳寒の黄金富士。幾年も待っていたが、思うようなチャンスに巡り会えなかった。積雪がなければ四駆車で10分の登坂距離であるが、膝まで埋まる新雪の中、私の足では最低一時間半みないと間に合わない。駐車場に着くと、既に一台車が止まっていた。同じような狙いでこの時期を待っていたとすれば、かなりのベテランカメラマンに違いない。
スノウブーツに履き替え、機材を担いでゆっくりとした足取りで登坂路に向う。

積雪は30cmを下らない。登るにつれてその深さは徐々に増してきた。スノウブーツがなかなか雪から抜けず手こずり始めた。「しまった!・・」登山靴にアイゼンを付けた方が足元も軽くなり、楽にラッセルで出来たかも知れない。平地で積雪時の撮影は何度も経験があるが、雪山登山での撮影は初めてであった。先達の残した踏み跡を頼りに坂道を登る。ヘッドライトの灯が、雪の結晶に反射して鋭く目に突き刺さる。その眩しさは、まるで針かナイフのような鋭利な突起物で目を刺されたかのようである。思わず痛みを感じる錯覚に陥った。

坂が急になり始めた。ブーツが雪滑りしてなかなか距離を稼げない。一歩で20cm進めば上出来である。10m進むのに5分以上かかる。息も絶え絶えになり、酸欠状態のため何度も欠伸をする。休みを頻繁にとらなければ苦しくて前に進めない。喉が渇き始めた。その時、日の出の時間ばかりに気をとられ、水を持ってくるのを忘れた事に気付く。仕方なく雪を食べてみた。いくら食べても喉の渇きはまったく癒されない。不思議なくらい潤わないのである。いつかテレビで見た山岳番組の実験で、バケツ一杯の雪を沸かして取れる水の量が、コップ半分にも満たないと放送していたことを思い出した。私は雪を食べるのを諦めた、無駄な抵抗であった。

気の遠くなる程ゆっくりと、急な雪道を登って行くと、やがて平地に出た。それでも進む速度はあまり変わらない。唯々無心で繰り返し雪を踏んだ。まるで修行僧の苦行のように。

登山を開始して約一時間、間も無く撮影ポイントに到着する頃、空が白け始めた。「なんとか間に合ったようだ!」既に先達は三脚を立て、撮影の準備を終えていた。挨拶をしたが、返事はなかった、思ったより若かった。富士山に目を向けると、山頂から吉田大沢、北富士演習場にと、綺麗に深雪が積もっている。周囲の山林の木々に宿る積雪も、まだ落ちずに残っている。豊かな新雪が降った翌朝だけに見ることの出来る絶景である。「来てよかった!」富士が微笑みかけてくれる瞬間に巡り会えた度、何度も味わった感覚である。

正直、降雪直後の闇夜の登山の大変さは想像していた。
経験をいくら積んでも、ハードな撮影に挑む前の気分は何とも重苦しいものである。しかし、運良く狙った光景に出会えると、その素晴らしさは想像を遥かに越え、何倍、何十倍になることが多い。今回も例に漏れず、富士はそれを証明してくれた。

 

■雲海との出会い

数ある富士山撮影の中で、垂涎の的であり、かつ出会う事が難しいのが雲海と富士の組み合わせであろう。

撮影するにはまず雲海の発生メカニズムを知悉しないと巡り会うことは叶わない。雲海の発生のメカニズムと具体的撮影術を簡潔に紹介する。

(1)なぜ水蒸気は発生するか?

水温は大気温の上下の変動により影響され、少しタイムラグをもって上げ下げする。例えば雲海の発生し易い夏から秋にかけては、まず大気温が下がり始め、次に時間差をもって水温が追いかけ下がる。その際、暖かい水が冷たい空気にあたって水蒸気が発生する。

(2)一番雲海が出やすいシーズンはいつであろうか?

それは、水温と大気温の差が一番激しくなる端境期、夏から秋と、春から夏の2シーズンになる。

(3)水蒸気の発生源はどうであろうか?

水蒸気の元になる水源が、発生場所の近くに豊富にあることも肝心である。例えば、沼、湖、比較的大きい河川などである。

(4)気候的にはどうであろうか?

山間部や盆地などを低気圧が通過して湿度が高くなったとき、放射冷却によって地表面が冷え、それによって空気が冷やされていく。ここで風の流れがない場合に、空気中の水分が霧となって発生する。

(5)最後に、撮影スポットに向かうタイミングはどうだろうか?

様々なデータや、経験により、今日はどこそこに雲海が出る確率が高いと判断した場合は、向かう途中で槍が降っても引き返さないことである。日の出と共に膨張する雲海に陽光が射し込み、刻々と雲の色彩は変化を続ける。その光景は筆舌に尽し難く、それは迷わずその場に立とうと決めた、貴方へのご褒美である。

 

■夜間撮影の魅力

夜間撮影の最大の魅力は、人間の目では決して見ることの出来ない、シュール(非現実的)な世界を写すことが可能な事である。

20世紀を代表するドイツの建築家、ミール・ファン・デル・ローエの言葉に、「God is in the details(魂は細部に宿る)」がある。素晴らしい芸術作品や良い仕事は、細かい所をきちんと仕上げており、こだわったディテールこそが作品の本質を決定するという意味である。人は細部を、意識されない脳の領域で「見る」ことによって「魂」に遭遇する。脳の深い領域、つまり潜在意識レベルでの感動がある。 

淡い月明かりが、長時間低感度フィルムに刻まれる世界は、まさに写真表現におけるシュルレアリズムである。朝焼け、雲海、ダイヤモンド富士、紅富士、など数ある富士山の光景の中でも、私を最も魅了して止まない。

 

■富士山伝説

雲見海岸から富士山までは直線距離で約80km離れている。そんな遠隔の地に面白い富士山伝説が残されている。それは雲見浅間神社にまつわる物語であり、全国でも良く知られた伝説上の人物が多く登場する。一部を紹介しよう。

雲見浅間神社の祭神は、大山祗命(おおやまずみのみこと)の娘、磐長姫(いわながひめ)である。
大山祗命には二女があって、姉妹とも賢く大の仲良しであったが、どうしたことか姉は醜く妹は絶世の美女であった。

天孫瓊瓊杵命(てんそんににぎのみこと)は旅の途中で二人の娘に出会い、妹の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を愛でて妃としたが、磐長姫は疎んじられたのを悲しんで雲見に隠れ住み、仲良しだった姉妹も互いに憎しみ合うようになってしまった。

後に磐長姫は雲見の浅間神社に祀られ、木花咲耶姫は富士山の浅間大社に祀られたが、雲見が晴れれば富士山が曇り、富士山が晴れれば雲見が曇ると言われ、雲見の浅間神社で富士山を褒めると祟りで高い崖の上から海中へ突き落とされるという。また、雲見の里人は富士登山を決してしない習わしだそうだ。また、磐長姫を祭神とする神社は全国で7箇所あり、京都の貴船神社神社もその一つである。

<注釈> 貴船神社は、本宮、中宮、奥宮の祭神がそれぞれ異なり、磐長姫命は、中宮(ゆいやしろ)の祭神として祀られている。

Photo & Text: 岳 丸山 (がく・まるやま)

静岡県在住。総合商社に勤務するも持病の心臓病が悪化した為、2003年退職。二度目の手術を受け奇跡的に生還。術後リハビリを兼ね富士山撮影を開始する。2007年から、写真による医療機関での福祉活動を目的として活動していたが、2020年2月、再び病に倒れて帰らぬ人となる。

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祈りの富士 写真家 岳丸山 

[ 自然 ] 祈りの富士 写真家 岳丸山 

Photo & Text : 岳 丸山

キーワード : 雲海 / 冨嶽三十六景 / 岳丸山 / 丸山林道 / 田貫湖 / 山中湖 / 高座山 / 黄金崎 / 雲見浜

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