私たちの身近にあって、美しく季節を教えてくれる草花。
懸命に生きる植物たちには驚くべき知恵や工夫があります。
そして、私たち日本人は草花とともに、物語や伝説を生きてきました。
もう一度身の回りの植物にまなざしをそそいでみませんか。
※このシリーズは中央公論新社から発行の「日本の花を愛おしむ」の文中記事から抜粋して作っています。
サクラ(桜)
[科名]バラ科[原産地]ヒマラヤ近郊[都道府県の木・花]東京都(ソメイヨシノ)、山梨県(フジザクラ)、京都府(シダレザクラ)、奈良県(ナラヤエザクラ)、宮崎県(ヤマザクラ)[花言葉]精神の美、優美な女性、純潔、富と繁栄

日本を代表する「花」は、ウメ? サクラ?
サクラは、ウメと並ぶ、日本を代表する花木です。この二つの人気は、時代の経過とともに、微妙に変化しています。「花」といえば、奈良時代には、「ウメ」を指していたといわれます。その根拠は、奈良時代に編纂された『万葉集』には、ウメが118首、サクラが40首に詠まれていることです。ウメが、サクラより多く詠まれているので、ウメのほうが人気があったと考えられます。
ところが、平安時代に編纂された『古今和歌集』では、この関係は逆転します。この歌集には、約1100首の歌が収録されていますが、サクラが61首に対し、ウメが28首に詠まれています。奈良時代から平安時代にかけて、ウメとサクラの地位が逆転しています。
「『花』といえば、奈良時代には、『ウメ』を指していたが、平安時代には、『サクラ』を指すようになった」といわれる所以です。
なぜ、花がいっせいに咲くのか?
春、暖かくなってくると、サクラの花が咲き誇ります。この現象を、代表的な品種であるソメイヨシノを主役に紹介します。
ソメイヨシノの開花は、ひときわはなやかです。その一つの理由は、花がいっせいに咲くことです。バラバラよりパッといっせいに咲くことで、はなやかさは増します。花がいっせいに咲くのは、このサクラの増え方が原因です。
ソメイヨシノは、「江戸時代の末に、オオシマザクラとエドヒガンを両親として生まれた」とされます。現在、ソメイヨシノの木が何十万本あろうとも、すべての木は、初めに生まれた一本の木をもとに、接ぎ木で増えたものです。
接ぎ木は、近縁の植物の枝や茎や幹に割れ目を入れて、増やしたい植物の枝や幹をそこに挿し込んで癒着させ、二本の植物を一本につなげる技術です。接ぎ木で増えると、増えた株はもとになった枝とまったく同じ性質になります。そのため、同じ地域では、同じように気温に反応して、すべての花がいっせいに咲くのです。
「両親がわかっているのなら、なぜ、それらを両親としてタネで増やさないのか」との疑問がもたれることがあります。しかし、そのようにしてできるタネから生まれてくるサクラは、ソメイヨシノと同じ性質ではありません。
このことは、私たち人間で考えれば、容易に理解できます。同じ両親から生まれた子どもでも、性質は同じではありません。一卵性の双生児などを除いて、同じ両親から生まれた兄弟や姉妹は、姿や形、性質は似ていますが、まったく同じではないのです。
そのため、オオシマザクラとエドヒガンでタネをつくれば、ソメイヨシノの兄弟や姉妹が生まれます。それらは、似ていますが、ソメイヨシノとは、葉っぱや花の大きさが違ったり、花の数や色合いが微妙に異なったりします。
夜の長さから寒さの訪れを察知している!
ソメイヨシノの開花が、はなやかな二つ目の理由は、咲く花の個数が多いことです。機会があれば、大きなソメイヨシノの木が満開で花を咲かせているとき、花の個数を数えてください。十数万個を超えることはめずらしくありません。ソメイヨシノの開花がはなやかな三つ目の理由は、葉っぱが出る前に、花が咲くことです。
花が咲くときに葉っぱが出ていると、花が目立たず、はなやかさは半減します。花が葉っぱが出るより早くに咲くためには、それまでに、ツボミがつくられていなければなりません。サクラのツボミは、開花する前の年の夏につくられるのです。でも、そのまま成長して秋に花が咲いたとしたら、すぐにくる冬の寒さのために、タネはつくられず、子孫が残りません。
もしそうなら、種族は滅んでしまいます。そこで、ソメイヨシノは、開花を徒労に終わらせないために、秋に、「越冬芽(えっとうが)」をつくり、その中にツボミを包み込みます。越冬芽は、冬の寒さに耐えるためにつくられる芽です。
越冬芽は冬の寒さをしのぐものですから、冬の寒さがくる前につくられねばなりません。そのためには、ソメイヨシノは、冬の寒さが訪れることを寒くなる前に知らねばなりません。そのために、葉っぱが夜の長さをはかるのです。夜の長さは、夏至の日を過ぎて、だんだんと長くなります。
夜の長さがもっとも冬らしく長くなるのは、冬至の日で、十二月の下旬です。それに対し、冬の寒さがもっとも厳しいのは、2月ごろです。夜の長さの変化は、寒さの訪れより約2カ月先行しています。ですから、葉っぱが夜の長さをはかれば、冬の寒さの訪れを約2カ月先取りして知ることができるのです。
長くなる夜を感じるのは、「葉っぱ」です。ところが、越冬芽がつくられるのは、「芽」です。とすれば、「葉っぱ」が長くなる夜を感じて、「冬の訪れを予知した」という知らせは、「芽」に送られねばなりません。そこで、夜の長さに応じて、葉っぱが「アブシシン酸」という物質をつくり、芽に送ります。芽にその量が増えると、ツボミを包み込んだ越冬芽ができるのです。
なぜ、台風のあとに、開花するのか?
ツボミを冬の寒さから守るために、秋に越冬芽ができるのなら、秋にサクラの花が咲くはずはありません。ところが、秋にサクラの花が咲くことがあり、新聞やテレビなどに取り上げられて不思議がられます。でも、この現象は、越冬芽がつくられるしくみに基づいておこっており、それほど不思議なものではありません。
「もしも、夏に、葉っぱが、毛虫に食べられて、なくなってしまったら」と考えてください。葉っぱがなくなると、秋になっても、夜の長さは感じられず、アブシシン酸がつくられません。そのため、芽にはアブシシン酸が送られてきません。とすれば、越冬芽がつくられず、ツボミは越冬芽に包み込まれることはありません。ですから、春と同じような秋の暖かさの中で、ツボミは花咲いてしまうのです。
また、秋の台風のあとに、サクラの花が咲くことがあります。これは、「塩害」で、葉っぱが枯れ落ちたためです。塩害というのは、文字どおり、「塩の害」です。台風が塩を含んだ海水を運んできて、木々の葉っぱに塩水がつき、その塩のために葉っぱが枯れ落ちる現象です。
一般的な台風では、多くの雨が伴うために、運ばれてきた塩水が木々の葉っぱに付着しても、塩は雨で洗い流されます。ところが、雨が少ない台風の場合、葉っぱについた塩が洗い流されず、塩害がおこります。そのため、サクラの花が咲いてしまうのです。これが、台風によって、秋にサクラの花が咲く現象なのです。
秋にサクラの花が咲くと、「狂い咲き」という言葉が使われることがあります。しかし、秋に花が咲くしくみが広く理解されると、台風のあとの開花には、「台風からの贈り物」や「台風の置き土産」という表現がふさわしいでしょう。
冬の寒さで目覚め、春の暖かさで花開く!
春になると、ツボミを包み込んだ越冬芽から、暖かくなるのを待ちわびていたかのように、いっせいに花が咲きます。この現象は、「暖かくなってきたから」と思われがちです。たしかに、花が咲くためには、暖かくならなければなりません。しかし、暖かくなったからといって、越冬芽から花が咲くものではありません。たとえば、秋にできた越冬芽をもつ枝を、冬の初めに暖かい場所に移しても、花が咲くことはありません。暖かさに出会っても花を咲かせない越冬芽は、〝眠っている〟状態であり、「『休眠』している芽、休眠芽(きゅみんが)」と表現されます。
秋に越冬芽がつくられるときに、アブシシ酸が葉っぱから芽の中に送り込まれています。これは、〝眠り〟を促し、花が咲くのを抑える物質です。ですから、越冬芽の中にアブシシン酸が多くある限り、暖かくなったからといって、花が咲くことはないのです。
花が咲くためには、越冬芽が〝眠り〟から目覚めなければならず、そのために、越冬芽の中のアブシシン酸がなくならねばなりません。この物質は、寒さに出会うと、分解されてなくなります。ということは、花が咲くためには、越冬芽が寒さにさらされねばならないのです。
冬の寒さで、アブシシン酸は分解され、越冬芽は眠りから目覚めます。そのときには、まだ寒いので、越冬芽は、目覚めた状態で暖かくなるのを待ちます。目覚めた越冬芽の中には、暖かくなってくると、「ジベレリン」という物質がつくられてきます。ジベレリンは、越冬芽から花が咲くのを促す物質です。そのため、暖かくなると、越冬芽から花が咲いてくるのです。
春に花が咲く現象の裏に、〝冬の寒さ〟の通過を確認してから目覚め、〝春の暖かさ〟に反応して花を咲かせるという〝二段階のしくみ〟が、越冬芽の中ではたらいているのです。
入試の合否にふさわしい電文は?
サクラは花を咲かせる春にもてはやされますが、そのはなやかな開花の陰には、一年がかりの努力があるのです。サクラは、夏にツボミをつくり、秋には、そのツボミを越冬芽に包み込みます。そして、冬の寒さを受けて、アブシシン酸を分解し、春の暖かさを感じ、ジベレリンの力を借りて開花を迎えるのです。
入学試験の合格を知らせる電報文には、「サクラ サク」という言葉が使われます。この言葉は、サクラの開花が一年がかりの努力の賜物であることを考えると、的を射ています。この短い言葉には、花を咲かせるサクラの努力と同じように、「合格するための努力が実りましたよ」という意味が込められているはずです。
それに対して、不合格の電文には、「サクラ チル」が使われます。「花が咲いてもいないのに、散るはずがない」と考えるのは、少し理屈っぽ過ぎるかもしれません。しかし、不合格には、「サクラ サカズ」とか、「ツボミ カタシ」のほうがふさわしい電文と思われます。
桜餅の香りの正体は?
桜餅の葉からは、おいしそうな甘い香りが漂います。しかし、サクラの木に茂っている緑の葉をもぎ取って香りを嗅いでも、桜餅の葉の香りはしません。「桜餅には、葉に香りのある特別な種類のサクラが使われているのか」と思われます。たしかに、桜餅に使われるのは、おもにオオシマザクラの葉です。このサクラの葉は、大きくてやわらかく、そして、強い香りを出すからです。
ところが、オオシマザクラの葉でも、木に茂っている緑の葉はあの香りを出しません。葉が塩漬けにされると、あの香りが出てくるのです。塩漬けにすれば、あの香りは、オオシマザクラでなくても、どんなサクラの葉からも出ます。ソメイヨシノの葉からも、あの香りは出るのですが、葉が堅いので、桜餅にして葉を食べるとき、おいしくないのでわれません。
あの香りは「クマリン」という物質の香りで、緑の葉にはクマリンができる前の物質が含まれます。でも、その物質には香りはありません。葉には、もう一つの物質が含まれます。それには、クマリンができる前の物質をクマリンに変える働きがあります。しかし、緑の葉の中では、二つの物質は接触しないようになっています。だから、クマリンの香りは発生しません。塩漬けにして葉が死んでしまうと、これらの二つの物質が出会って反応します。その結果、クマリンができて、香りが漂ってくるのです。
葉を塩漬けにしなくても、緑の葉を手でよく揉んでモミクチャにしておくと、クマリンのかすかな香りが漂いはじめます。葉が傷ついて、二つの物質が接触することになるからです。葉が傷つくとクマリンの香りが漂うのは、葉が虫に食べられることへの防御反応です。葉を食べようと傷をつけた虫には、クマリンの香りは嫌な香りなのです。だから、あの香りはかじられた葉から出ますが、虫にかじられていない葉からは漂う必要がないのです。
『日本の花を愛おしむ』 令和の四季の楽しみ方
発行:中央公論新社
田中 修・著
朝生ゆりこ・絵
判型/頁:A5判/274ページ
定価:本体2000円(税別)
販売サイト
⇒ http://www.chuko.co.jp/tanko/2020/01/005264.html
Text: 田中 修 Osamu Tanaka
甲南大学特別客員教授/名誉教授。1947年(昭和22年)京都市に生まれる。京都大学農学部卒業、同大学院博士課程修了。スミソニアン研究所(アメリカ)博士研究員などを経て、甲南大学理工学部教授を務め、現職。農学博士、専門は植物生理学。主な著書に『ふしぎの植物学』『雑草の話』『植物はすごい』『植物のひみつ』(中公新書)、『入門たのしい植物学』(講談社ブルーバックス),『フルーツひとつばなし』(講談社現代新書)、『ありがたい植物』(幻冬舎新書)、『植物のかしこい生き方』(SB新書)、『植物の生きる「しくみ」にまつわる66題』(サイエンス・アイ新書)、『植物はおいしい』(ちくま新書)ほか多数。
Illust: 朝生 ゆりこ (あそう・ゆりこ)
イラストレーター、グラフィックデザイナー。東京藝術大学美術学部油画科卒。雑誌、書籍のイラスト、挿画などを多く手がける。 https://y-aso.amebaownd.com