各地で開かれる多くの美術展、どのように見るべきか、悩みませんか?
その展覧会の特徴と見どころ、注目すべきポイントを、美術ジャーナリストの村田真が伝授します。
今回は、三重県立美術館で行なわれている「没後30年 諏訪直樹展」を紹介します。
日本の伝統と西洋近代を融合させた画家
近年、1980年代の美術が再評価されているが、その80年代を代表する画家が諏訪直樹である。というと、80年代の画家ならほかにもたくさんいるではないか、そもそも諏訪直樹なんて画家は知らない、といわれるかもしれない。
もちろん80年代に諏訪より活躍した有名な画家はたくさんいる。だが、1980年に独自のスタイルを打ち出し、以後10年にわたって日本の現代美術の最前線に立ち、そして残念なことに、1990年に不慮の事故で亡くなった諏訪こそ、80年代を代表する画家だと断言したい。
諏訪が制作活動を始めた70年代後半は、モダンアートが行きつくところまで行きつき、モノクロームの絵画や石ころを並べただけの「作品」がはびこり、もはや「絵画は死んだ」とささやかれた時期。そんな閉塞した時代に、新世代の芸術家の卵たちはなんとか突破口を切り開こうと試行錯誤していた。彼らは「絵画」「彫刻」「美術」とはなにかを根源的に問いつめ、ある者はモダンアートの頂点ともいうべき構成主義や抽象表現主義を参照し、ある者は「絵画」の枠を超えて空間全体に広がるインスタレーションを試み、またある者は伝統的な日本美術にヒントを求めた。
諏訪は初期のころ、黄金分割によって画面を構成し、色を塗り分けるシステマチックな方法論による絵画を制作。これは、いったん否定された絵画を、プロポーションや色彩といった基本から問い直し、再び1から構築しようとした試みといえる。さらに重要なのは、伝統的な日本の美意識と、明治以降に導入した西洋美術をいかに接続させるかという、近代の日本が抱え込まざるをえなかったやっかいな問題に向き合おうとしたことだ。


この問題に諏訪が出した最初の答えが、1980年に発表した《波濤図》だ。画面は粗いタッチで覆われているが、よく見ると北斎の波のような図が見て取れる。なにより目を引くのは、画面が直角に折れ曲がり、四曲屏風のように自立していること。荒々しいタッチは当時欧米で流行していた新表現主義の影響と見られるが、「波濤」のモチーフや屏風形式は日本美術を換骨奪胎したものだ。つまりここで彼は、西欧の同時代絵画と日本の伝統絵画をなかば強引に接木しようとしたのだ。こうした一種の「日本回帰」は明治以降しばしば見られる現象だが、諏訪は以後80年代を通して、西洋の近代絵画と日本の伝統絵画を融合させるという独自の路線を突き進んでいくことになる。
たとえば《日月山水》は、やはり幾何学的に分割された画面に粗いタッチで描かれた抽象表現主義的な絵画だが、これもタブローのように壁にかけるのではなく、床に置く「衝立」形式。《PH-2-8602》も、キャンバス布にアクリル絵具で幾何学的形態と激しい筆触を同居させているが、布は木枠に張らず、画面上下の軸で固定する「掛軸」形式になっている。内容的にも形式的にも古今東西の絵画をミックスさせているのだ。


さらに彼は、前人未到の領域に足を踏み入れていく。そもそも絵画というのはタブローであれ壁画であれ、1枚の画面で完結するものだ。なかには襖絵のように画面が部屋をぐるりと囲んでいたり、絵巻のように図が長々と連なっているものもあるが、必ずどこかで終わりがある。それに対して諏訪が構想したのは、終わりのない絵画、すなわち《無限連鎖する絵画》だった。
絵の内容はやはり三角や菱形などの幾何学形態と、荒々しいタッチで塗られた群青、緑青、金といった日本的な色彩の組み合わせだが、その絵柄を左から右へパネルを継ぎ足しながら描き連ねていくというもの。いわば絵画による連歌(もっとわかりやすくいえばシリトリ)ともいえる形式で、続けようと思えばいつまでも続けることができる。だから最初に全体構想はなく、描いていくうちに作風も徐々に変化していく。これはある意味で、画家が絵を描き続けていくために編み出された方法論ともいえる。
この連作は1988年に始まり、毎年十数枚ずつ、PART1からPART3まで、パネルの枚数でいえば計50枚描き進んでいたが、1990年の9月、突然途切れてしまう。終わらないはずの連作が、作者の急死によって強制終了させられたのだ。連作の終盤、きらびやかな色彩が次第に影を潜めてモノクロームに近づく一方、タッチはますます激しさを増し、最後は花火が炸裂したように絵具が飛び散って終わっている。この最終場面を、つい諏訪の死と結びつけたくなるのは、同時代を生きた筆者だけだろうか。名実ともに諏訪の代表作であり、絶筆でもある。
諏訪の亡くなった1990年以降、日本の現代美術は再び大きく変わっていく。なかでも東京藝術大学日本画科出身の村上隆は、日本の伝統的な美意識と現代のマンガやアニメの共通性に着目し、「スーパー・フラット」を提唱して、世界的に注目を浴びる。以後も、会田誠、山口晃、束芋など日本美術のエッセンスを採り入れた次世代のアーティストが続々と登場し、活躍している。表面的には抽象表現の諏訪に対して、村上や会田らはサブカルチャーに感化されたポップな作風でまったく異なるし、両者に直接的な接点は見られないが、近代の日本美術が抱え込んだ問題を共有し、その解を模索する姿勢には共通するものがある。諏訪直樹は間違いなく彼らの先導者の一人である。
<没後30年 諏訪直樹展 ーコレクションによる特別陳列>
会期:2020年2月1日(土)〜4月5日(日)
開館時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜日(ただし2月24日は開館し、翌2月25日(火)休館)
会場:三重県立美術館 三重県津市大谷町11
電話:059-227-2100
諏訪直樹没後30年連鎖企画
没後30年を記念し、諏訪直樹作品を所蔵する下記の美術館が最後の大作《無限連鎖する絵画》を展示します。本展とあわせてぜひご覧ください。
宇都宮美術館展示室1
2019年11月23日―2020年2月24日
令和元年度第3回・コレクション展
《無限連鎖する絵画PART1 (No.1-12)》(1988年)を一挙公開。
目黒区美術館
2020年2月15日―3月22日
目黒区美術館コレクション展越境者たち――Beyond the Borders
《無限連鎖する絵画PART2 (No.13-31)》(1989年)を公開予定。
千葉市美術館コレクション展示室
2021年1月―3月
特集展示:諏訪直樹
《無限連鎖する絵画PART3(No.37-50)》(1990年)を公開予定。
Text: 村田 真 (むらた・まこと)
東京造形大学卒業。ぴあ編集部を経てフリーランスの美術ジャーナリストに。東京造形大学および慶應義塾大学非常勤講師、BankARTスクール校長を務める。おもな著書に『美術家になるには』(ぺりかん社)『アートのみかた』(BankART1929)など。